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境界線

 以前にトマトを食べて感じたことを、先週末思い出した。

 そのときトマトは包丁で切って少し塩をつけて食べた。
おはしで口に運んでもぐもぐ噛んでじゅわっと汁が口に広がったと思ったらごっくんとおなかに入っていった。そうして食べて、さっきまでお皿の上にあった赤い丸いトマトは、今はなくなりわたしの中に入っていった。

「 トマトはいまやトマトではなくなり、わたしの一部になった。」

それから翌日トイレで便をした。
すると、さっきまでわたしの体の中にあったものが、今はわたしから出ていってもはやわたしではなくなった。

そう考えると、空気だって呼吸をするたびにわたしではなかったものがわたしになり、わたしの一部であったものが出ていって誰かの一部になったりする。

今までは皮膚を境にしてわたしとそれ以外のものが分かれているように思っていたのに、案外そうではないのかもしれない。境界線は皮膚よりももっともっと外側にもしくは内側にもしくはあいまいなものなのかもしれない。

さっきまで畑に生えていた菜の花をおかあさんが取ってきて炒めてくれたので食べた。
その菜の花は数ヶ月前までは菜の花として存在していなかった。土や雨水の一部が菜の花になったものをわたしが食べて、いまや菜の花ではなくわたしになった。

思考も、ほぼ全部誰かの影響をうけている。
誰かのオリジナルだった考えが自分の中に入ってきて、少し変化しいまやわたしの考えになっている。

もしかしたらすべての人やものと近くで、もしくは遠くでつながっている。
きっとわたしの頭で認識していないとても広い範囲のものとつながっている。
境界はいつも思っているところよりはるかに大きいのかもしれない。
もしくは大きな境界の中にいるのかもしれない。はたまた、自分は何かと何かの境界??
そう考えると、わたしを大切にしようとするとわたしをとりまくものを邪険にはできない。
反対に、自分を大切にすることは、周りも大切にすることにつながるのかもしれない。

それから、死んでしまったら?
死んだら体は形を崩して他の何かに変わっていくし、存在も少しだけ誰かに影響して今ある境界の向こうのものに吸収される。

そう思うと今の形にこだわらずに自然にまかせて変化していったらいいんだわと思えて少し気楽になる。
年をとるということは、たくさんのものとのつながりや境をへて境界がなくなる方向に変化していくことなんだろうか。

 先日、大学のバスケ部の先輩と飲む機会があり「気」というものが存在するのか聞いてみた。物理専門のその先輩方二人はあっさり「ない」と言い切りった。わたしは今は測定できないだけで、もしかしたらあるかもしれないエネルギーなんじゃないかと思う。昔発見された放射線みたいに測定できる機械を誰か開発してくれたら、「気を使いすぎているから減らそう」とか「もっと気を入れてトライしてみよう」とか具体化するのではないかと思う。

 皮膚の外側の境界線は気だったりしないだろうか?

職場の技師さんに同じ話をしたら、「心と似たようなもので、あることはわかっているけど、どこにあるかと言われると難しいものなんじゃないか」ということだった。


とにかくこんなことを考えるのは楽しい。

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